朝井リョウ『正欲』感想文~「多様性」と「正しさ」の相性の悪さ~

読書中の男性のイラスト読書

相変わらず人の頭をぶん殴るような文章を書かれます。

当然、痛くて苦しいんですけど、自分はちゃんと殴られるべきだ、と思わせる恐ろしい文章です。

朝井リョウ氏の新作書き下ろし小説『正欲』読みました。

 

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一言で言えば、とても良かったです。いやはや、良い小説は脳にきますね。

amazonレビューの星が5点ばかりなのも頷ける作品だと思います。

 

以下、できる限りネタバレなしで、感想を綴ります。

ただ、未読の方は、可能であれば、公式サイトに置いてある「試し読み」部分だけでも読まれることをおすすめします。(↓試し読みはこちらです)

試し読み | 朝井リョウ 『正欲』 | 新潮社
あってはならない感情なんて、この世にない。それはつまり、いてはいけない人間なんて、この世にいないということだ――共感を呼ぶ傑作か? 目を背けたくなる問題作か? 絶望から始まる痛快。あなたの想像力の外側を行く、作家生活10

 

 

 

本作が描いているテーマは、極めてシンプルに言えば、「多様性」と「ポリティカル・コレクトネス[1]正確には「コレクトネス」が主で、「ポリティカル」成分はさほどではないですが」ということになるでしょう。

ただ、こうやって簡単に内容を表してしまうこと自体、読後の自分としては憚られるところがあります。

そのように一言では表しきれないモヤモヤを、未加工の状態で差し出して来るのが、この小説なので。

 

 

本作では様々な人が登場します。

当たり前に居る「当たり前の人たち」や、当たり前に居る(はずの)「当たり前でない人たち」です。

決して完璧ではない世の中で、みな違った立場で、違った想いから、誰もが正しく、同時に誰もが誤っています。

そして、直観的には「正しい」とは到底思えない形で、登場人物たちが交錯し、時に衝突してしまいます。

こうした、人の世の悲しさ、息苦しさ、理不尽さを濃密に描き出せるのは、小説という媒体ならではと言えます。

 

 

特に、本作で特徴的な存在は、「マイノリティ中のマイノリティ」の方々でしょう。

最近では社会の「マイノリティへの理解」が進みつつあるとされています。確かに、以前と比べれば格段に社会は「進んだ」のかもしれません。

しかし、そうした中で救われ、肯定されうるのは「マイノリティ中のマジョリティ」までであって、「マイノリティ中のマイノリティ」は取り残されてしまう。

その現実に私たちが気づけているかを、本作は問いかけてきます。

 

皆さんは「いやもちろん、そうしたマイノリティの人たちのことも理解しようと努めていますよ」と思われるかもしれません。

しかし、本作を読む時、読者はまず最初間違いなく彼らを「誤解」します。それも「なるほど理解した」という確信めいた実感を持った上で。

読み進めて、彼らの、彼らにとっての「現実」を知った時、私たちは私たちの想像力の貧困さや、理解したという態度の浅薄さに気付かされることになります。

これはもちろん、著者の朝井氏の仕掛けが効いてるわけですが、それを言い訳にはできません。

どうしたって、それは私たちの想像力の至らなさが原因で「誤解」したことには違いないのですから。

朝井氏は、そうした私たちの想像力の不完全さを可視化する手助けをしただけにすぎません。

だから、私たちがついつい「マジョリティの頭」で考えてしまっていることを、反論できない事実として突きつけられてしまうのです。

 

 

この私たちの想像力の限界を思い知った上で、「多様性」や「ポリティカル・コレクトネス」といった単語が飛び交う世の中を改めて考えます。

「多様性」と「コレクトネス(正しさ)」って、あたかも友達同士のような顔で社会に居座ってますけれど、本来は徹底的に相性が悪いものではないでしょうか。

少なくとも、トレンドやファッション的にキレイに消化できるほど、生易しい食べ合わせではないはずです。

 

たとえば、よく「自然派の食品」の類があるじゃないですか。

じゃあ、あれが本当に「自然か」と言うと、確かにいわゆる「化学物質」を用いてはないかもしれないですけれど、泥や虫はキレイによけられてるわけです。もっと言えば、「腐ってるモノ」は捨てられてるはずです。

だから、あくまで自然からは「加工」されているんです。あたかも、それが「正しい『自然』だ」という顔をして。

でも、本当は「自然そのものの多様性」というのは、そうした泥や虫がついてたり、カビに侵蝕されてるものも含んでるはずです。

いったい、《それら》はどこにいったのでしょう。

キレイゴトでは絶対に済まない、何かそうした泥臭いコトに向き合う覚悟が、毒も皿も喰らうような覚悟が、本当に私たちの社会にあるのでしょうか。

  

 

ときに、本書の帯には「読む前の自分には戻れない」というコピーが載っています。

これは誇張された煽り文句ではなく、まさにその通りなのです。

本作の冒頭に登場する「週刊誌記事」の文章[2]試し読みには載ってないですが、立ち読みでもすぐに到達できる部分ですし、気になる方は書店でちょっと読んでみられてもいいかもしれません。本書を一回完読後にまた読んでみてください。

初めて読んだ時に感じる不快さと、一度本作を読み終わってから改めて読んだ時に感じる不快さが、まるで決定的に異なってることに否応なしに気付かされます。

確かに、読めば何かが変わってしまう小説なのです、本作は。

 

 

それにしても、過去に朝井氏の『桐島、部活やめるってよ』や『何者』を読んだ時にも感じましたが、朝井氏は「弱者」と「強者」の攻守交代を描くのが本当に上手いですね。

「強者」は確かに基本的には強いんですけれど、それが転じた「弱さ」も持っている。

「弱者」は確かに基本的には弱いんですけれど、それが転じた「強さ」も持っている。

それぞれの「強さ」を相手の「弱さ」にぶつける時が、いわば「攻撃」のターンですが、逆に自分の「弱さ」を相手の「強さ」に突かれる「防御」のターンもある。

自分が感情移入した人物が、自分が感情移入したまた別の人物を問い詰める時。すなわち、読者が攻守を同時に体験する時。

本当に「強者」や「弱者」なんて居るんだろうか、自分は何を「正しい」と感じればいいのだろう、とまるで分からなくなる感覚があります。

こうした類稀な読書体験を生起させるのが、ほんと朝井氏の上手さだと思います。

 

文章中のレトリックやネタの面白さもさすがです。

人から人へ「章」を渡る時の「文中の繋がり」は楽しい仕掛けで、ついつい毎回どこが「繋がり」かなと、確認してしまいます。

また、「元号切り替え」、「小学生YouTuber」や「おじ恋」など、時事ネタのモチーフがふんだんにストーリー内に盛り込まれてるのも、クスッとなって楽しい上に、登場する人々がまさに現実に私たちのともに同じ社会に生きているかもしれないと思わせる効果があって、秀逸です。

 

 

総じて、よくできた傑作だと思います。

特に、「多様性」や「ポリティカル・コレクトネス」に興味があるなら、読んで損はないと思います。

ただし、読みながら頭をぶん殴られる覚悟は、きっちり準備しておくことをおすすめします。[3]ヘルメットをしてもダメですよ。頭の中から殴られますから。

 

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

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脚注

脚注
1 正確には「コレクトネス」が主で、「ポリティカル」成分はさほどではないですが
2 試し読みには載ってないですが、立ち読みでもすぐに到達できる部分ですし、気になる方は書店でちょっと読んでみられてもいいかもしれません
3 ヘルメットをしてもダメですよ。頭の中から殴られますから。

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