アート作品の価格表示バグ

美術館のイラストアート

アートは一言で表せられない

たまに美術展なんかでアート作品に触れると、その表現の濃密さや複雑さに圧倒されますね。

自分の感覚の視野外からとびかかってくる創造性の嵐の前に、自分の想像力の貧困さが思い知らされます。

そこで生じるのが、

――アートのあの圧倒された体験を、他の方にも伝えたい

アート鑑賞帰りのそんな思い。

誰しも経験ありますよね。

でも、これらの作品を、もし言葉で表すとした場合、どうして表せるものでしょうか。

言葉の扱いに長けた人なら上手く言えるのかもしれませんが、江草のレベルでは、どう言葉を紡いでも、その複雑さや濃密さが、一気に単純で素朴なものになってしまい、全く原型をとどめてはくれないのです。

ただ、作品は「作品ソレ自身」として目前にあり、これを感じたいなら「直接見て」としか言いようがありません。

その「作品」や、その作品を前にした「体験」は、あまりに濃厚で複雑すぎて、一言で表せるはずはない、江草はそう感じてしまいます。

 

アートについてる価格の値動きの違和感

さて、ある美術展で直接的な作品鑑賞以外の面で興味深い体験をしました。

スタッフの方が作品について簡単に解説をしてくれた時のことです。

草間彌生さんの作品だったのですが、まったく同じ作品にもかかわらず、描かれた当初は二束三文だった価格が、今やプレミアがついて大変な値段になっていると教えてくださったのです。

草間彌生さんの作品でなくても、アート作品の値段が高騰する話はよく聞かれますので、珍しい話というわけではありません。

ただ、江草はちょうど「アート作品のもつ濃厚さ」に勝手に感じ入っていたところでしたので、そうした価格の値動きの話に不思議なひっかかりを覚えたのです。

.。o0(どうしてそんな価格の激しい動きが生じるのだろう)

と。

保存状態も良さそうでしたので、作品の経時変化自体に価値があるというわけではなさそうです。

「人気が出て皆が欲しがるようになったから」という言わばシンプルな市場原理が説明としては簡単です。江草としても、今までそれで納得してきていましたし、大筋としては否定するものでもありません。

ただ、それで「価格が上昇すること」は示せても、「価格がどうしてそんな風に無茶苦茶に上昇するのか」は十分に説明できてない気がしてしまったのです。

 

複雑なものを一次元の指標で表現することのムリヤリさ

そんな中で、自分の中で腑に落ちた考え方は「アートのような複雑なものを、価格というシンプルな一次元の指標で表現することがそもそもムリがあるのだ」というものでした。

二次元世界に生きている生物がいて、そこを通り過ぎる三次元の物体を見たとして、二次元世界上での形が円形だったり四角形だったりに急激に変化する不思議な構造物としかとらえられないだろうという話があります。

つまり、低い次元からではどうしても高次元の物体の複雑な全体像を想像することは難しいわけです。

同様に、価格のような所詮一次元の指標で、三次元世界でも最も複雑な表現物であるアート作品を表すことはできるはずはないのです。

とはいえ、現実、私たちの社会慣習の中でアート作品をやり取りするためには「価格」のような抽象的でシンプルな「分かりやすい共通の指標」を用いないと仕方がないのでしょう。

作品価格の急激な変動は、そんなもともと手に負えない複雑怪奇なものである「作品の価値」を、なんとかして無理やり押し込んでシンプルな「作品の価格」として表示しようとしたために起きた、システムの価格表示バグのようなものなのだと思います。

 

世に「分かりやすい指標」はいっぱいあるけれど

で、価格だけでなくても、世の中には万人共通の「分かりやすい指標」はいっぱいあります。

「学歴」だったり、「資格」だったり、「ランキング」だったり、「賞」だったり。

私たちは日々、そうした指標を用いて人や物を推し量って生きています。

確かに指標があった方が分かりやすいのには違いないですし、そうした指標がなければ、私たちは1つ1つ吟味して選択することに疲れ果ててしまうでしょう。私たちはすべての選択に全力で向きあうことはできないのです。

でも、指標がいくら便利だからといって、そのデメリットや副作用の存在をも忘れてはいけないのだと思います。

「分かりやすい指標」を用いた時、いつの間にか削ぎ落とされてしまったであろう、あのアート作品のような「濃厚さ」や「複雑さ」にも思いをはせる義務が私たちにはあるのではないでしょうか。

そこにはやはり、圧倒的なあの「体験」のようなものが隠されているに違いないのですから。

 

以上です。ご清読ありがとうございました。

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