発信者は傲慢にしかなりえないのかも

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それなりに偉い立場にある人が「最近の若いもんは、こんなことも学んでない、あれも学ぼうとしてない、ちゃんちゃらおかしい」と説く言説を読みました。(「ちゃんちゃらおかしい」は本当に書いてありました)

 

テーマは江草の門外漢のジャンルなので、それを学ぶことの意義や是非については分かりません。

ただ、聞き手だけでなく各方面を揶揄する言い回しや言葉遣いが多分に含まれていて、第三者として正直言って傲慢さを感じました。

 

もちろん、中にはこうした「大先輩からのスパルタ的叱咤」で発奮する人もいるでしょう。

けれど、それにしたって聞き手の心理を逆撫でする効果が無駄に強いように思います。

  

この聞き手をバカにしたような言説で、聞き手の行動変容が本当に得られるのでしょうか。

 

いえ、この問いは正確ではないですね。

行動変容につながるかどうかはケースバイケースで、実証研究してみないと分からない面はあるでしょう。

 

だから本当に問うべきはこの問いかもしれません。 

「この聞き手をバカにしたような言説は本当に聞き手の行動変容を目指したものなのでしょうか。それはただの建前で、本当は自分がスカッとしたいだけなんじゃないですか?」

と。

 

  

誰かの非を指摘して改めてもらいたいと求める言説を書く。江草も頻繁に行っていることです。

それを乱暴に書くか、丁寧に書くか、書き手が調整することはできるけれど、どうしても最後はいくらかの傲慢さは残ってしまうのではないでしょうか。

そう、それはまさに「言ってやったぞ」という爽快感の形で。

 

逆に言えば、完全に謙虚な人には発信などできないのかもしれません。

なぜなら、完全に謙虚であればおそらく「世の中に自分の言葉を伝えたい」という「発信に不可欠な気持ち」が生じなくなるので。

 

 

発信に傲慢さが含まれることが悪いことだと言ってるわけではありません。

言いたいことはこうです。

発信にはどうしたって傲慢さがつきまとってしまうことは、発信者は自覚した方がいいのではないか、と。

なんなら、ブログに限らず、Twitterでも、日常の会話でも、他人に物を申す時はみなそうでしょう。

 

 

ただ、あくまで聞き手の行動変容を主目的にしてるならば、発信に伴う傲慢さをゼロにすることはできないとしても、せめてその「発信者個人の気持ちの発散」という役割を減じ、聞き手の行動変容を促す形に最適化する努力を行うべきでしょう。

その努力のみが、発信者の傲慢さに対するせめてもの贖罪になるのだと思います。

 

 

 

うーん、やっぱりこれも傲慢な提言でしたかね?

 

  

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

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