真野俊樹著『新たな医療危機を超えて ◇コロナ後の未来を医学×経済の視点で考える』読みました。

医療経済や医療政策、医療経営など多数の著書がある真野氏の新刊です。
「命か経済か」のワードで象徴されるように、コロナ禍では医療と経済の対立がよく起きています。
しかし、本当はちょうどその間をつなぐ学問が存在してるんですよね。
それが医療経済学です。[1]もちろん、実際にはちょっと医療寄りかなと思うので、守備範囲が厳密に医療と経済の中間というイメージでもないかもですが
名前からしてコロナ禍の議論において大事なポジションにあるはずの学問です。
ただ、どうも思いのほか存在感が薄いんですよね。
目立ってる岩田健太郎氏や西浦博氏のような感染症学や疫学の先生方に比べると、あんまり一般への浸透してない気がするなあと江草も残念に感じていました。
そこに今回、真野氏の医療経済学の視点からコロナ禍を見る本書が出たと知り、喜び勇んで購入したというわけです。
どんな本か
本書では、帯にある通り、医療にまつわる多様なテーマについて真野氏が考察されています。
帯の「この本で皆さんと考えたいこと」から引用しますと、
- コロナ禍と医療・経済
- 医療と規格大量生産
- MMT理論と医療
- 命の選択
- 医師の将来
- コモンズの悲劇
- オンライン診療
- 国民皆保険制度の持続可能性
と、大変贅沢なラインナップになってます。
専門用語バリバリの文章ではなく、それぞれ基本的な知識から丁寧に説明されてますし、非医療職の一般の方でもついていける内容だと思います。
医療経済学的な素養があまりない医療職の方も、このように幅広いテーマの話を押さえてくれているので、このコロナ禍を機に勉強するにはもってこいでしょう。
逆に、医療経済の話に多少詳しい方にとっては、基本的すぎる部分の説明が多いきらいがあるのは否めません。ただ、この分野はすぐに制度や状況が変わる分野でもあるので、本書などで最近の情勢の知識をアップデートするのは有用かと思います。
諸外国との比較が面白い
本書ではとくに日本と諸外国との医療制度の比較の話は興味深いものが多く、一読の価値があると思います。
たとえば、よく言われている「日本には病院がこんなにあるのに医療が逼迫するなんておかしい」という批判。
本書は「日本の医療体制の諸外国との違い」から、その理由を丁寧に解説されています。
諸外国と医療提供体制の官民バランスや、保険制度が違うのもさることながら、そもそも「医療」の概念さえ違うという話が紹介されます。
とくに非医療職の方にとってはほとんど知られてないところと思うので、ぜひ広く知られてほしいなと感じます。
もうひとつ、「社会的入院」が高齢者死亡率を下げたのではという真野氏の仮説も興味深かったです。
このような背景に加えて国民皆保険によって高齢者の自己負担がきわめて低かったこともあり患者に必要とされる期間あるいは患者が望む間は、病院で面倒を見るという「社会的入院」が生まれることになった。この点も影響して、日本では病院以外の高齢者施設数が増えず、現在では社会的入院はほぼなくなったとはいえ、病院がその機能を代用していた。変化が起きたのは2000年に介護保険制度が施行されてからであるが、それを境に一気に高齢者施設数が増えたわけではない。現在、現場では医療介護連携が叫ばれ、医療介護の連続性が比較的保たれている。
真野俊樹『新たな医療危機を超えて ◇コロナ後の未来を医学×経済の視点で考える』p109-110
ところが新型コロナウイルスの感染拡大に対しては、高齢者施設が少ない、あるいは高齢者施設における医療の役割が大きかったことが、日本に幸いした。たとえば、介護保険施設である介護老人保健施設には医師は常駐しているし、特別養護老人ホームにおいても医師が定期的に診察に向かう契約を結んでいる。その他の高齢者対応の施設であっても、訪問診療が行われるなどして医療の役割が充実している。一方、アメリカなどでは、医療サービスがついている「スキルドナーシングホーム」と言われる高齢者施設には医師や看護師もある程度関与するが、通常の高齢者施設である「ナーシングホーム」などでは医療の関与は少ない。
話を元に戻すが、おそらく日本の高齢者施設に新型コロナ感染のクラスター発生が少なく、諸外国と比べて高齢者の死亡者数も少ない理由は、介護施設従事者が必ずしも得意ではない感染管理に対し、医療従事者の関与が密接であったことが大きいのではないだろうか。
よく批判の的になる日本の「社会的入院」の慣習ですが、真野氏によれば実はこの「社会的入院」がコロナ禍では功を奏したのではないかというのです。つまり、日本の高齢者死亡者数が諸外国と比べると少なく抑えられたのは、日本の高齢者が医療体制の整った施設に入所しているからだと。
もちろん、あくまで仮説ではありますし「社会的入院」が良いことであるとも真野氏は主張されているわけではありません。
しかし、考えたこともない視点でなるほどなとうならされました。
こうした比較は諸外国の知見をもってないとできないところですので、海外事情に詳しい真野氏の真骨頂と言えるでしょう。
どうしても海外の情報を得ようとすると言語の違いもありハードルが高いので、本書の海外比較事例の豊富さは大変ありがたいなと感じました。
気になったところ
褒めっぱなしもなんですので、あえて苦言も呈しておきますと、少し気になったポイントもありました。
というのは、かなり幅広いテーマのお話をされてるせいか、一部のテーマに関しては踏み込んだところまでは考察が至ってないように感じたのです。
たとえば、帯にもある「MMT理論と医療」のテーマは、個人的に関心があるところで真野氏がどう料理されるのか期待していたのですが、実際にはMMT理論の概要をさらりと触れる程度で残念でした。
他の面白そうな話題「GDPと幸福度の関係」なんかも「ここでは議論はしない」とスキップされています[2]p231。
ここも、今や「資本主義リアリズム」の根幹を巡って大きな論争があるところなので、真野氏の見解も聞いてみたかったなというのが正直なところです。
もちろんこれは本書の責められるべき欠点というわけではなく、真野氏の慎重で誠実な態度の表れと思います。
実際、
本書は、医療分野と経済・経営分野の視点から書かれており、社会学や倫理学といった視点がどうしても弱くなる。そういったことをふまえて本書を読んでいただけると、さらに皆様のお役に立てるのではないかと思う。
真野俊樹『新たな医療危機を超えて ◇コロナ後の未来を医学×経済の視点で考える』p12
と、本書内でも明言されてるように、不案内な議論は深追いしないのが真野氏のポリシーなのだと思われます。
これは、確かに丁寧な姿勢でもありますし、褒められこそすれ、否定されるべきことではないでしょう。
ただ、冒険的ではない真野氏だけに、全体的にはちょっと保守的な感覚があるのかなという印象は覚えました。
たとえば、医師が株や不動産で稼ごうとすること、とくにDr.K氏の財テク本を名指しで批判的に取り挙げた箇所があります。
将来を危倶する医師の変化としておもしろい現象がある。匿名医師の著者による 『医学生・若手医師のための誰も教えてくれなかったおカネの話』といった本がベストセラーになったりするのだ。本の内容、名前、値段(2970円)から考えても、医師しか買わないようなお金の本が、アマゾンのランキングで100位台に入る時代であるということだ。もちろん医師が金銭面の感覚を持つことは悪いことではない。しかし本来の医師のあり方としては、医師は医業で稼ぎ、それを金銭面・労働面で医に再投資していくという姿である。医療以外の、たとえば株式投資や不動産投資で医業以上に稼ぐという姿は、病院経営者などの一部の医師においては当然ありうる姿かもしれないが、こういた若い医師向けの本で、堂々とそれが語られ、ベストセラーになることには、国民感情としては、少し違和感があるのはないだろうか。
真野俊樹『新たな医療危機を超えて ◇コロナ後の未来を医学×経済の視点で考える』p158-159
言われてるのはこの本ですね。

もっとも、あくまで丁寧で穏やかな言葉遣いですし、この引用箇所の後に引き続いて若手医師が財テクに走らざるをえない理由も考察されてますし、真野氏はこうした風潮やDr.K氏個人を強く批判されているというわけではありません。
ただ、他の箇所でも医師は医業に専念すべきとしている記述はあり、真野氏の本音が少し表れてる箇所ではあるように感じました。
しかし、このように医師が財テクに走る状況というのは、それこそやっぱり「資本主義リアリズム」に端を発してると思うのです。
それを問題視するならば、「資本主義」そのものに対する態度を医療界としても考えないといけないフェーズに入ってきてるのではないでしょうか。
とくに、本書内でも、まさしく資本主義そのものである「経済成長を続けること」にこだわりがあるように思われる記述も散見しましたし、そうであるならばなおさら「医師が医業以外で稼ぐこと」というこれまた資本主義的発想から自然と導かれる行為との整合性を整理せねばならないでしょう。
でも、正直なところ本書ではそこまでの踏み込んだ議論には至ってないんですよね。
MMTも含め関連があるテーマを節々でかすめているところがあっただけに、江草的にはこの「医療と資本主義の対峙」という本質的な問いへの踏み込みは少し物足りなく感じてしまいました。
これこそ、医療と経済の両方に造詣が深い医療経済学者が語る価値があるテーマだと思うので、ぜひお願いしたいなと思います。[3] … Continue reading
【まとめ】コロナ禍で日本の医療の課題に興味をもった方にはオススメ
このように物足りないところもありましたけれど、そこに関しては正直言うと江草の期待が高すぎただけで、本書は基本的には良い本だと思います。
とくに日本の医療体制に関して幅広く現状の解説をされてるので、今回のコロナ禍で日本の医療の課題について興味をもった方にはもってこいの一冊だと思います。
非医療職の方でも読める内容だと思いますので、「なんですぐに医療逼迫しちゃうの?」などの疑問をお持ちの方はぜひ手にとってみてください。
以上です。ご清読ありがとうございました。

脚注
↑1 | もちろん、実際にはちょっと医療寄りかなと思うので、守備範囲が厳密に医療と経済の中間というイメージでもないかもですが |
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↑2 | p231 |
↑3 | なお、旧来から、医療に市場原理を持ち込むべきかという論争は根深く、そういう意味では「医療と資本主義」というテーマはむしろ伝統的な議題であると言えます。基本的に医療経済学者のうちでは市場原理に否定的な意見が多く、とくに日本では皆保険制度や営利企業の参入禁止によって医療への市場原理の持ち込みを明確に拒否しています。ただ、最近の議論で厄介なのは、もはや社会そのものがどんどん「資本主義リアリズム」化していってる中で、その社会の一員として生きる医療従事者も資本主義を内面化せざるを得ないという現実です。これは医療だけを「非市場化」しても解決できない問題です。むしろ「市場」と「非市場」の境界面でますます整合性がとれなくなり問題が拡大する一方になってるとさえ言えるでしょう。ほとほと困った事態です。 |
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