不在者尊重をどう実現するか

会話のイラスト社会

おはようこんにちはこんばんは、江草です。

今日は、「不在者の尊重」について考えます。

 

ついつい不在者にしわ寄せをする私たち

SDGsも周知されるようになり、社会の持続可能性について関心が高まってます。

でも、そもそもどうして持続可能性をわざわざ意識しないといけないのでしょうか。

持続可能な社会にせず破滅に向かって突き進むなんて愚かなことと少しでも考えれば分かりそうなものです。

ほっといても自然と持続可能になるように調整されるものなんじゃないでしょうか。

 

ただ、残念ながら、それがそううまくいかないのが現実です。

というのも、私たちはついつい「持続可能性」を軽んじてしまう癖があるからです。

具体的に言えば、私たちは「不在者」を不利に扱いがちです。

たとえば、「未来の人類」もいわば「不在者」ですが、そんな「不在者」たちを尊重することを、わりとすっぽり忘れてしまうのです。

 

win-win関係に潜む「負の外部性」

ビジネスではよく「win-winの関係」と言われることがあります。双方が利益を得るのが良い取引というイメージの言葉です。

ただ、この場に登場してない者がいますよね。

それはこの両者以外の「第三者の方々」であったり、「環境」です。

 

得てしてwin-winの取引は、取引当事者同士はwinであっても、この「第三者」であったり「環境」がloseになりがちです。 

たとえば、他国の貧困層の労働者であったり、地球の自然環境であったり、未来の人類であったり、がしわ寄せを受けることで、私たちのwin-win関係が維持されてることが指摘されています。 

いわゆる経済用語の「負の外部性」です。

 

win-win関係だけでなく、近江商人の言う「三方良し」のスローガンが守られるならばいいのですが、現実は厳しいもの。

その場にいない者の不利益は、その不利益の存在を主張し反対する者も基本いないので、当事者たちに特に悪気がなかったとしても、つい忘れられてしまうのです。

 

医療現場でもそうですよね。

患者さんが強くCT検査希望を出していたとして、あまり医師としても必要性は高くないとは思いつつも絶対不要とまでは言えない場合、患者さんを説得する労力も大変ですし、結局病気がなかったという安心感が得られるのであれば検査してしまうのも悪くないか――それこそwin-winの関係だ――という流れでしばしばCT検査が実行されます。

その検査施行の判断によって、その診察室の場にいなかった放射線技師や放射線科医がその分働くことになりますし、さらには健康保険料を支払ってる全国のサラリーマン達にもその負担のしわ寄せが及んでるといえるでしょう。

 

このように、とかく不在者は不利益を被りやすいのです。

 

不在者を意識的に不利に扱うケースも

さらに言えば、私たちは不在者を意識的に不利に扱うケースもあるように思われます。

 

たとえば、PTAの会議に欠席すると、PTAの役員に選ばれやすいという噂がありますね。

確かに面倒事を決める時には、欠席者を不利に扱うというのは、しばしば見られる人間社会の癖ではありそうです。

 

これは、欠席者には「出席しなかった」という落ち度がある、と私たちが考えてることになるのですが、それがやむを得ない欠席であった場合に、どこまで不利な扱いが許されるかというのは、ひとつ課題にはなるでしょう。

 

不在者をどう尊重するかは難しい

このように、不在者には無意識的にも意識的にもしわ寄せが行きやすい傾向があるのは否めません。

 

しかし、こうした不在者を忘れず尊重することができなければ、持続可能な社会を実現することは到底難しいでしょうから、なんとか私たちはうまく不在者を尊重するための術を見いださなくてはなりません。

 

ただ、やはりというかなんというか、「不在者をどう尊重するか」というのがまた一筋縄ではいかない難題なのですよね。

 

不在を利用する者

たとえば、世の中には自分の都合の良いように「不在」を利用する者もいます。

疑義への追及に答える責任があるのに、急に入院したりとか。

なんか最近もそういう話ありましたね。

 

そこまで極端でなくても、もし仮に不在でも不利益がないとしたら、会議に参加する労力や時間を惜しんでサボりたいと思う者も出るでしょう。そうなると、会議そのものの意義が成り立たなくなるおそれがあります。

 

こういった、不在を利用する者の存在を考えると、不在を「落ち度がある」と捉えるのも、やむを得ない面はあるのかもしれません。

 

良かれと思った判断が

それでは、未来の人類の子孫たちなど、確実に不在である者たちについては大丈夫でしょうか。

残念ながら、これも別の課題があるように思います。

 

当然ですが、彼らは今ここに不在なので本人たちの意向がわかりえません。本当にいないので伝え聞くことさえできません。

ですので、こちらが良かれと思った判断が、本人たちにとって不本意であるという可能性もないではないでしょう。

 

PTAの例で言えば、不在者に不利益になってはいけないと良かれと思って役員候補から外しておいたら、実は本人は役員になりたかったというケースも想定は可能ですよね。

地球環境については、さすがに持続可能な地球を引き継ぐ方が、子孫にとってもまず良いだろうと私たちは思うわけですが、特に個別具体的なものごとについては絶対とは言えないのも確かでしょう。

 

このように、あくまでこちらの考えで不在者の利益を尊重するわけですから、いつの間にか私たちの価値観の押し付けにならないようには注意は必要なのかもしれません。

 

少なくとも「不在者」の存在は意識したい

と、不在者を無視するのもいけないし、不在者を尊重しすぎるのも、押し付けがましくなるのもいけないしと、なかなか面倒な話ではあります。

 

ただ、ひとまず少なくとも「不在者」が存在していることについて意識はした方が良いとは言えるのではないでしょうか。 

外部の者に不利益を押し付けがちな私たちの悪い癖をちょっとでも改善するためには、それが最初の一歩になるように思います。

  

以上です。ご清読ありがとうございました。

 

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