> [!NOTE] 過去ブログ記事のアーカイブです
おはようこんにちはこんばんは、江草です。
今日は、江草が個人的にMMTやベーシックインカムに心配してることを挙げてみます。[^1]
昨日、MMT派の漫画を紹介したところなので、ちょうどいいかなと思いまして。
[[井上純一「がんばってるのになぜ僕らは豊かになれないのか」読んだよ]]
一応は、MMTやベーシックインカムの施策には江草は支持的なのですが[^2]、懸念点はあるにはあるように思うのです。
## 政府の存在への依存度が高くなりすぎるおそれ
MMTでは赤字国債を容認します。これは、国に実質的に通貨発行権があることで、見た目上、自転車操業状態とはいえ国債を返せなくなることはない、という原理に基づいてます。
ただ、それでも実は返せなくなるケースは存在するように思うのです。
それは、政府自体が打倒されてしまうケースです。
仮に経済理論的には大丈夫だとしても、政府自体が転覆してしまえば、貸したお金が返ってこない可能性はありますよね。
一方のベーシックインカムも永続的な国民への給付を約束します。
これも、政府自体がもしもなくなってしまえば、当然その給付を続けることはできなくなります。
つまり、MMTもベーシックインカムも、政府が今後未来永劫存続することに対して強い依存性を持っているのです。
このことの何が問題かと言うと、政府の存続にあまりにも国民が強く依存し、政府そのものが”too big too fail(大きすぎてつぶせない)”な存在となってしまった場合、もし仮に政府が害悪な施策を打つ存在になってしまったとしても、国民の側からそれに反抗する意識が高まりにくくなるのではと思うのです。
たとえば、経済政策的には国民に利益をもたらす政府であったとしても、人権侵害だったり、監視社会を築いたりして、他の要素で政府が圧政を敷く可能性はありえるでしょう。
「ひどい政府だなあ」と内心思っても、「でも今後も国債発行してもらわないと困るし」とか「ベーシックインカムがないと生活が保てないし」となると、国の多少の悪政では「まあ養ってもらってるし仕方がないか」と、我慢して服従してしまうかもしれません。
しかし、最初は軽いことだったとしても、どんどん悪政がエスカレートして、本当に凶悪な政府になってしまってしまう可能性はあるでしょう。
茹でガエル的に、いつのまにかジョージ・オーウェルの小説「1984年」で描かれたような支配構造が仕上がってしまってるということもありえないではないのです。
もちろん、幸いにして日本は現状ではそんな悪徳な政府ではないと思うので[^3]、政府の存続を願い皆で支えるのは当然のことですが、もしもの恐ろしい未来社会の可能性を考えると、政府への依存度が高くなるのも少しばかり心配ではあるのです。
## 他国との軋轢が生じるおそれ
また、MMTやベーシックインカムはその国の政府の存続に依存するという性質から、ナショナリズム的な性格を帯びやすいのではないかとも思います。
つまり他国のことを差し置いて自国中心的になる傾向が強まるのではないかという懸念です。
人民元切り下げ問題での米中摩擦など、自国のことを考えれば合理的な経済操作も、他国からは反感を買うことがしばしばあります。
しかし、MMTやベーシックインカムは一度やりだした後にやめるのは大変な国内の混乱が予想されるので、やめるにやめられない代物です。
そうなると、他国との軋轢が生じてもなお続けざるをえないですし、ともすると、国民に多大な恩恵をもたらしている愛すべき自国政府を批判する他国に対し嫌悪感も生まれてしまうかもしれません。
ひいては、最悪の事態は戦争となるわけです。
もちろん、そこまでのことにはならないと信じたいのですが、国内経済と他国との政治的友好関係のバランスの取り方は難しい舵取りを迫られる場面も出るのではないかなあと、ちょっと心配しています。
その意味では、グローバル政府によって地球全体で一元化したMMTあるいはベーシックインカム的な政策を取るならば、そもそも自国や他国の概念がなくなるのでこの懸念はなくなるとは言えます。
ただ、グローバル政府なんてそれはそれで夢物語ですし、もしできたとしても違う問題が山のように生まれてしまいそうですね。
## 資本主義経済の課題を先送りしてるだけかもしれない
また、MMTもベーシックインカムも基本的には現行の資本主義経済の体制を基盤とした発想です。
なので、資本主義経済そのものが根本的に抱えた課題を解消するものではなく、ただ問題を先送りしているだけの可能性はありえるでしょう。
たとえば、MMTはインフレ率だけ気にすればいいと言います。
でも、しばらくはそれで良かったとしても、ますます資本主義経済による格差形成圧力が強まって、目標インフレ率でのコントロールの範囲内でも景気刺激や生活の下支えができない日が来ないとも限らないと思うのです[^4]。
ベーシックインカムもそうで、最初のうちはなんとか財政の範囲でやりくりする方法ができたとしても、ますます資本主義経済による格差形成圧力が強まって、やっぱりどうやっても生活の下支えに十分なベーシックインカムが供給できなくなってくるおそれはありえるでしょう。
また、経済的観点の問題だけではありません。
資本主義経済を続ける限り、環境破壊も不可避であるとの警鐘も鳴らされています。
MMTやベーシックインカムによって、人々が経済学的にはしばらく助かったとしても、資本主義経済が不可避に呼び起こす消費需要から、ますます地球環境の破壊が進み、結局、いつしか経済政策のような「数字あそび」ではどうにもならないほど、地球全体で実物資源が不足してしまう可能性はあるでしょう。
これらのことを考えると、MMTやベーシックインカムでは資本主義経済のはらむ課題の根本解決にならず、一部でも声が上がり始めてる「脱資本主義化」をしないとそもそも私たちの社会が存続困難になってる可能性も否定はできないようにも思うのです。
江草は、なんだかんだ資本主義社会の切磋琢磨感は好きなので、なんとか上手い形で存続してほしいのですが、「脱資本主義化」も一つの課題として頭の片隅には置いています。
というわけで、MMTやベーシックインカムに対して、江草の心配事を紹介しました。
いずれも現状では有力な発想で、少なくとも何もせずに手をこまねいているよりは良いと思うのですが、限界や問題点があるのも確かなのではないでしょうか。
もちろん、杞憂で済めばいいのですけどね。
以上です。ご清読ありがとうございました。
#バックアップ/江草令ブログ/2021年/3月
[^1]: もちろん、MMTとベーシックインカムは別物ですが、共通してる心配点もあるので
[^2]: なんなら両者を組み合わせてもいいかなとさえ思ってますが、それは実ははMMT主流派からは反対の声が多いようなのです。残念。
[^3]: この判断は人によるかもしれませんが
[^4]: この辺は本当は細かい経済学の知識が要りそうなので、素人の抱いてる懸念と思ってください