> [!NOTE] 過去ブログ記事のアーカイブです
> だが今、我々はまったく違う方向に来てしまった。人々は専門知について健全な疑いをもつのではなく、積極的にそれに憤慨し、多くの人々は、専門家が専門家であるという理由だけで、間違っていると見なす。人々は「エッグヘッド」――最近また流行り始めた知識人を揶揄する蔑称――には黙っていろと唸り、医師には自分に必要な薬を指示し、教師には子供がテストで書いた間違った答えを正解だと言い張る。誰もがみんな平等に頭がよく、今のアメリカ人は過去最高に賢いと思っている。
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> とんでもない間違いだ。
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> トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』p5-6
トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』読みました。
国際問題を専門とするアメリカの大学教授トム・ニコルズ氏による「反知性主義」への警鐘本です。
冒頭の引用からもわかるように、専門家視点から専門知を軽視するアメリカ国民の態度について厳しい批判を行っています。
あくまでアメリカの話の本なのですが、出てくる「非専門家による誤謬やフェイクまみれの事例」が日本でも違和感がないものばかりで、アメリカと日本の状況がたいして変わらないことに驚かされます。
それだけ、トランプ元大統領に象徴される「反知性主義」が、世界規模で進行している問題ということでしょう。
普段から無茶苦茶なロジックを振り回している論者に辟易している専門家の方々が本書を読むと、読みながらうなずきすぎて首がもげてしまうかもしれません。
本書のメインパートは「アメリカで専門知がいかに軽視されてるか」の提示と、「なぜ専門知が軽視されるようになったか」の考察です。
著者は反知性主義がはびこった原因を、当の非専門家にばかりでなくその他の立場の者たちにも見ています。
たとえば、
レジャーランド化している大学であったり、
いわゆる「マスゴミ」化しているジャーナリストやメディアであったり、
安易な未来予測をしたり専門外のことまでクビを突っ込む当の専門家たち自身であったり、
各方面のプレイヤーたちの責任を著者は問いかけています。
社会全体として反知性主義の蔓延を助長してしまってることがよく分かる丁寧な整理です。
アメリカにおける具体的なメディアやジャーナリストの事例を取り上げての批判が続く部分は、アメリカの事情に明るくないので固有名詞がピンと来ず、置いてけぼり感があります。
でも、それ以外の箇所で分かりにくいところは少なく、快適に興味深く読めました。
特に、結論の章での著者の語りは非常に熱く、この民主主義の危機をなんとかしないとなという気持ちを昂ぶらせてくれます。
総じて面白い本なのですけれど、個人的には惜しいなと思う点もあります。
本書は反知性主義が蔓延している社会の惨状であったり、それに対して専門家がいかに怒っているかの概観の面では素晴らしいのですが、肝心の「なぜこうなってしまったのか」の掘り下げは少々甘い気がするんですよね。
たとえば、非専門家が傲慢になってしまった理由を、著者は「ダニング・クルーガー効果」や「確証バイアス」などの認知バイアスに求めて済ませてしまってる傾向があります。
それはそれで原因なのは確かでしょう。
でも、そこはもう少し追って「どうしてそうしたバイアスが彼らに強く現れるのか」あるいは「どうして彼らはそのバイアスに魂を売ったのか」まで踏み込んでほしかったところです。
具体的に言えば、マイケル・サンデルが近刊『実力も運のうち』で指摘していた「専門家(テクノクラート)の傲慢さ」や「能力主義社会のワナ」に関して、本書では回答や考察はほぼありません。
大事なテーマを取り上げた本書だけに、この落としは非常にもったいないです。
実際、著者のトム・ニコルズ氏も本書内でところどころ「非専門家を蔑視する言葉使い」を容認しているように見える箇所があります。
> とくに医師たちは、もういい加減にしてほしいと思っているようだ。最近の笑える例をあげると、2015年に――またしても――キンメルは風刺の効いた公共広告を発表した。この広告に登場した医師たちは、冒涜的な言葉を乱発して、ワクチンを頑固に恐れる患者に毒づいた。「あなたはポリオに罹ったときのことを憶えていますか?」ある内科医は尋ねた。「いや、憶えてないですね。あなたの親はあなたに\[罵り言葉\]ワクチンを接種したんですから」。別の医師はこう言った。「なぜわたしはたった一日しかない休日を使って、あんたたちみたいな馬鹿者にワクチンの説明をしなくちゃならないんだ?」また別の医師が相槌を打つ。「どっかの間抜けが転送メールを読んだからか?」
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> トム・ニコルズ『専門知は、もういらないのか』p280-281
「馬鹿者」「間抜け」などの言葉使い。いわんや省略されてる\[罵り言葉\]。
残念ながら、これはまさにサンデルが批判する「専門家の傲慢な態度そのもの」です。
> エリートたちは、彼らの「賢明な」政策の党派性だけではなく、「賢い」と「愚か」をめぐる執拗な語りに現れる傲慢な態度にも気づいていないようだった。2016年には、多くの労働者が、高学歴エリートから慇懃無礼に見下されていると感じていら立っていた。こうした不満はエリートに対するポピュリストの反発として爆発したが、そこには相応の理由があった。調査研究によって、労働者階級の有権者の多くが感じていたことが事実だと証明されている。つまり、人種差別や性差別が嫌われている(廃絶されないまでも不信を抱かれている)時代にあって、学歴偏重主義は容認されている最後の偏見なのだ。欧米では、学歴が低い人びとへの蔑視は、その他の恵まれない状況にある集団への偏見と比較して非常に目立つか、少なくとも容易に認められるのである。
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> マイケル・サンデル『実力も運のうち 能力主義は正義か?』p141
トム・ニコルズ氏の本書も専門家の責任について指摘してはいるのですけれど、先に挙げた「蔑視」の容認など、専門家側に対しては追及が甘く、結局は専門家視点の怒りの本の域を出ないところがあります。
もっとも、その「専門家の怒り」自体は確かに正当で、論理的です。
民主主義を取り戻すために社会は反知性主義から脱しないといけないという「目指すゴール」もきわめて妥当で、江草も賛同します。
でも、その一方で、「非専門家の反発にもそれ相応の理由がある可能性」についても思いを馳せないと足りないように思うのです。
これが本書の惜しいところです。
と、いくらか難点もありつつも、江草自身、読んでいて反省させられるところが多かったですし、現状の反知性主義問題の整理にとても良い本だと思います。
どうしてこんなに「非科学的で非論理的な言説」が世にはびこるのかと日々頭を悩ませてる専門家の皆様はぜひ手にとってみてはいかがでしょうか。
以上です。ご清読ありがとうございました。
#バックアップ/江草令ブログ/2021年/5月