――私たちはなぜモノを買い続けるのか。
――それはただ、人生をモノで埋めるためなのかもしれない。
そう思わされた残酷な映画でした。
「365日のシンプルライフ」視聴しました。

2013年のフィンランドのドキュメンタリー映画です。
青年が自分の所有物を全て倉庫に放り込み、1年間1日1個ずつだけ持ち帰って生活する「実験」を描いています[1]モノの購入も禁止。
最初は本当に空っぽの部屋の裸一貫から始まります。
しかも、夏から実験すればいいものを、彼は冬から始めてます。フィンランドの冬ですよ。よくやりますよね。
いわゆる「ミニマリスト」のはしりのような企画で、実際に公開後各地に影響を与えた映画だそうです。
江草もモノを減らしたいなと常々思っていたので、prime videoでたまたま見かけた本作に惹かれたのです。
※ここからネタバレあり
本作はドキュメンタリーだけあって、淡々と進んで終わる映画です。
テーマもテーマだけに、映画というより、日常を撮影したvlog(ビデオログ)のようなテイストです。
大作映画のような二転三転のストーリーを期待してはいけません。
言ってしまえば退屈な映画です。
しかし、誰もが心の奥底に隠し持っている「モノへの執着」を考えさせる独特の作用を持った映画です。
この映画のメッセージはシンプルです。
「人生はモノでできてない」
なるほど、なるほど。
でも、みなさん、正直言ってこれを目新しいメッセージとは思わないでしょう。
「ミニマリスト的実験」と聞いて、想像もついていたと思います。
今や、「断捨離」という言葉も定着し、日本が誇る片付けスター「こんまり」さんも居ます。
「人生はモノでできてない」――みんなそんなことは分かってるわけですよ。
だから、実は「このメッセージ」が本作のキモではないと江草は見ます。
「人生はモノでできていない」
それは分かってる。
でも、それなのに私たちはなぜモノにあふれる生活が止められないのか。
この問いこそがこの映画の隠れたメッセージではないでしょうか。
そう思って映画を振り返ると、この映画の示す残酷な側面が見えてきます。
映画の前半。
彼は50個ぐらいのモノを有したところで早々に、もはや持って帰りたいモノがなくなってしまいます。
人にとって「生きていく上で最低限必要なモノ」が案外少ないことを示す場面です。
一方で、モノがもう必要ないと感じた代わりに彼の心を支配した気持ちが「人恋しさ」でした。
ガールフレンドが居ないこと、携帯電話がないため[2]当初、主人公が頑なに携帯電話を持ち帰りたがらなかったのが原因ではあるのですが友人との行き違いが増えたことから、彼は思いつめた表情を見せます。
一瞬、「何もかも嫌になった」と、人生自体が嫌になったかのようなセリフもあります。
つまり、生存に必要な最低限の「モノ」が充足した瞬間、必要になったのは「ヒト」なのでした。
結局、そうして彼は「人生はモノでできてない」ことを痛感し、モノへの執着を捨てることができました。
最終的にガールフレンドもゲットして、ハッピーエンドを迎えます。
……いや、本当にこれはハッピーエンドなのでしょうか。
これこそが、実に残酷な現実を指し示しているのではないでしょうか。
確かに彼は今回の実験によって「モノ」をリセットました。
大変な「モノ不足」であったのは間違いないでしょう。
しかし、一方で、彼は豊富な「ヒト」に恵まれているのです。
面白がってからかいながらも、実験に協力的かつ好意的な、家族や友人が、冒頭から次々に表れます。
大型の「モノ」を運ぶ時に進んで手伝ってくれてますし、食べ物も差し入れてくれています。
彼が持つ、そうした「ヒト」という資本の威力が、全編を通じて如実に表れています。
確かにガールフレンドこそ最初はいませんでしたが、1年も経たないうちにラブラブ状態に達してる様を視聴者に見せつけてきます。
これを人はなんと呼ぶでしょうか。
そう、「リア充」ですね。
もちろん、「ヒト」に恵まれているのは、彼の人徳がなせるところと言えばそうなのでしょう。
しかし、だからこそ残酷な現実を指し示している映画なのです。
残念ながら、誰もかもが人徳に溢れ、ヒトに恵まれるわけではないのを、私たちは知っているのですから。
うすうす皆が感づいている通り、結局のところ、モノに執着し、モノを買い続ける人は、人生の虚しさをモノで埋めているだけなのでしょう。「買い物中毒」というのもありますしね。
そういえば、「モノが無い部屋」を人は「寂しい部屋」と形容しますよね。これは示唆的です。まさしく「寂しいからモノで埋める」ということにつながるのですから。
そして、英語の”room”は”空き”も意味しますね。この「部屋」を「空き」とみなす感覚もまた示唆的です。
言ってみれば、「ヒト」に恵まれなかったり、「人生の意味」が見いだせなかったり、そういう時に人は人生の”room”を「モノ」で埋めてごまかすのです。
こう考えることで、この映画からは、
ミニマリストになれば幸福になれるのか、幸福だからミニマリストになれるのか。
そんな問いも生まれます。
分かりやすい「人生はモノでできてない」というメッセージを掲げた看板の裏を覗き込むような、こういう少々うがった目線でこの映画を見るのも、なかなかに味わい深いのではないでしょうか。
以上です。ご清読ありがとうございました。
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